移住した母島で働きながら農園を開墾
若い頃から国内や東南アジアを旅していたという濱崎さんが小笠原を訪れたのは32歳のとき。1カ月以上滞在して、なかでも母島の素朴さや雄大な自然、人々の和やかさに魅了されたといいます。「この島で農業をやろう。」そう思い立った濱崎さんは滞在中に島での仕事を決め、その頃暮らしていた仙台には、奥さんを連れて来るために1度戻っただけでした。最初の2年は母島のゴミ収集の仕事に就き、その後1年間アルバイトをしながら小高い山の斜面を開墾したのです。生まれは栃木県の農家だったため多少の農作業には慣れていたとはいうものの、たった1人での開墾は想像を絶する仕事だったことでしょう。しかし、濱崎さんにとっては母島に移住すると決意したときから厳しさは覚悟の上でした。レモンを育てるには、まず苗木を作って大きくし、それから農園に移植して果実が収穫できるまでは数年を要します。