THE 東京仕事人「東京都小笠原支庁産業課 営農研修所」

昭和19年に太平洋戦争の激化に伴って全島民が強制疎開してから28年後、住民が帰還した時、無人島状態だった母島は島全体がジャングルに覆われていたと言います。元の住民や移住者が農業を再開するにあたって、まずは土地の開墾から始めなければなりませんでした。彼ら母島の農業者を支え、現在のような生産が可能となるまで、共に歩んできたのが東京都小笠原支庁産業課営農研修所です。営農研修所の藤本所長を訪ね、どのような役割を担ってきたのかお聞きしました。

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