「練馬の冬の風物詩といえば……」と聞かれたとき、多くの人が思い浮かべるのが「練馬大根引っこ抜き競技大会」です。
第19回目を迎えた今回の大会。昨年度から始まったネット予約の導入により、グループ参加の部では開始からわずか“2分40秒”で定員に達したほどの人気ぶりを見せました!
毎年、区内外から多くの人が集い、冬の畑は参加者の熱気と笑顔に包まれます。
冬の訪れを告げる、5,000本の「緑の海」
まるで海のように青々と広がる練馬大根の畑。
その景色を目にして、「今年もいよいよ締めくくりだな」と感じた方も多かったのではないでしょうか。
ズラリと並ぶ5,000本もの大根は、この大会と翌日の学校給食のためだけに、丹精込めて育てられたもの。
この壮大な舞台裏を支えていたのが、練馬区が設置運営する「高松みらいのはたけ」で働くJA東京あおば職員の矢作さんと長岡さんです。
JA東京あおば職員の矢作さん(右)と長岡さん(左)
競技と給食。二重のプレッシャーと戦う
区から運営を委託されているJA東京あおばの職員、矢作さんと長岡さんは、まさに「名コンビ」。
農学部出身で主に栽培技術を担当する矢作さんと、収穫した大根の調理や活用を担う長岡さんです。
インタビューの中で、お二人がまず口にしたのは「二重のプレッシャー」でした。それは、競技会場としての完璧な畑を育てる責任と、区内の学校給食へ必要な量を確実に供給するという使命感。
「これだけ多くの方が楽しみにしてくださっている大会。とにかく失敗はできない」
その言葉には、現場を支え続けてきたプロとしての重みが宿っていました。
「大変さ」を「楽しさ」に! 5,000本の大根が繋ぐ、食育の輪
練馬大根引っこ抜き競技大会には、制限時間内に抜いた本数を競う「選手権の部」と、大根の長さを競う「グループ参加の部」があります。
練馬大根は中太りで抜けにくく、長くて重いため、かつては栽培や収穫に多大な労力を要しました。昭和30年代には病気の流行や他品種への転換もあり、一度は畑からほとんど姿を消してしまったのです。そんな練馬大根の復活を目指す取り組みの一つとして、この大会は大切に続けられてきました。
準備運動は、練馬を代表する農家・渡戸秀行さんが作詞作曲した「練馬大根引っこ抜き方教えます。」のメロディに乗せて。
仕上げはみんなで、元気よく「スッポーン!」の大根ポーズ!
大根と奮闘する参加者。今回の大会で収穫された練馬大根の最高記録は、長さ92cm、重さ4.4kg。練馬大根ならではの堂々たるサイズです。
収穫の大変さをあえて「競技」という楽しさに変え、参加者が抜いた5,000本のうち4,000本は、翌日の区立小中学校の給食として届けられます。一本の長い大根を通して、「楽しさ」と「労働」、そして「食育」と「地産地消」が見事につながっている。まさに、練馬の誇りが詰まった素晴らしい大会です。
2024年の悪夢。給食供給を襲った、「不足事態」
しかし、今日までの道のりは決して平坦ではありませんでした。特に2024年は記録的な酷暑に見舞われ、大根の生育が困難を極めました。
「あの時は本当にどうしようもなかった」と、矢作さんと長岡さんは当時を振り返ります。
「最終的に5,000本が必要な場合、間引きの分を見越して例年は15,000粒ほどの種を用意します。2024年は万全を期して25,000粒も準備したのですが、それでも種の袋がどんどん底をついていき…。過酷な暑さの中、3〜4回も種をまき直し、ようやくの思いで大会開催に漕ぎ着けました」
懸命な試行錯誤を続けたものの、それでも学校給食用に用意できた数は目標に届かず、一部の学校では献立の変更を余儀なくされたといいます。
「絶対に失敗できない」試行錯誤の2025年
だからこそ、今回は「もう失敗は許されない」という不退転の決意で臨みました。 以前はお盆の時期に行っていた種まきですが、近年の温暖化を考慮し、数年前から9月上旬へ。さらに今回は、そこからもう一週間遅らせる判断を下しました(9月14日)。
加えて、近隣の農家から教わった「遮熱効果のある銀黒マルチ(地面を覆うシート)」を導入。その効果は絶大でした。これまでのマルチでは地温が35度に達した日でも、銀黒マルチは27〜28度に抑制。9月20日の時点では、発芽率も成長具合も、その差は一目瞭然だったといいます。
驚くべきは、そのコスト。銀黒マルチの価格は、通常の3〜4倍にも上ります。「そんなに高価なのですか!?」と思わず聞き返すと、矢作さんは静かに答えました。 「他の農家さんも、皆私たちと同じように苦労されています。本当に、これまでと同じやり方では野菜がとれない時代がきていると感じます」
ほかにも、トウモロコシ由来の保水剤や、海藻由来の活性剤で光合成を促すなど、「できる努力は片っ端から試しました」と話す言葉に、プロとしての意地が滲んでいました。
今回の栽培で実際に使用された「銀黒マルチ」。表面の銀色が太陽光を反射し、大根の敵となる地温の上昇をしっかりと抑制します。
取材に伺ったのは、大会から数日後のこと。
「とにかくホッとした」と語るお二人の安堵の表情には、酷暑の中で5,000本を育て上げる難しさと、背負い続けてきたプレッシャーの重みが静かに滲み出ていました。
「本当に、うまくいってよかったですよね…」。夏からの過酷な道のりを振り返り、晴れやかな笑顔を見せるお二人。
祈りの追肥と恵みの雨
「学校給食への提供を考えたとき、もし1本あたり500gの差が出れば、4,000本換算で2トンもの差になります。本数だけでなく、一つひとつの育ち具合には本当に神経を使います」
2024年の供給不足という苦い経験があるからこそ、今回は「念のため、もっと太らせたい」と、大会わずか一週間前に追加の肥料をまく『追肥(ついひ)』を決行しました。 長岡さんは「重たくな〜れ〜。抜きにくくな〜れ〜」と、半ば祈るようにつぶやきながら土に向き合ったといいます。
するとその翌日、天が応えるかのように恵みの雨が降り注ぎました。大根たちは最後の力を振り絞るようにしてぐんぐんと成長。ついに今回は、学校給食分も含めた必要量を、無事に確保することができたのです。
“ここは競技場”というこだわり
また、お二人が何より大切にしているのは、この畑を単なる農園ではなく「アスリートが戦う競技場」として完成させることです。 「普通の大根農家なら、わざわざ植え直しなんてしないんですけどね」と、お二人は笑います。
参加する選手たちができるだけ平等な条件で競えるよう、芽が出なかった場所に「欠株」を作らないのがお二人のこだわり。そのために、わざわざ予備の苗まで育てて手作業で移植を行うといいます。
「本来は直に種をまいて真っ直ぐ育てる大根を、苗から育てて移植すると、ポットの中で根が曲がって『面白大根』になることもあるんです」と矢作さん。
大会当日に目にする、美しく整然と大根が並ぶ景色の裏側には、そんな選手への細やかな配慮と情熱が隠されていました。
「選手権の部」の出場者に配布される、軍手や記録用紙、そして「アスリートカード」。
カードに刻まれた「アスリート」の文字を目にした瞬間、参加者たちの表情が引き締まり、闘志に火がつきます。
いよいよ迎えた大会当日
こうして、幾多の困難を乗り越え、ついにこの日を迎えた5,000本の練馬大根。会場には例年以上の熱気が満ち溢れ、第19回大会の幕が上がりました。
会場の一角にある「自由に抜いていい畑(※)」では、子どもから大人までが泥んこになりながら、あちこちで「抜けた!」という歓声を上げています。
練馬区都市農業課の石森さんは、その光景を眩しそうに見つめながら語ります。 「競技に参加する方はもちろん、応援に駆けつけた方も含め、皆さんがこうして農園に触れること。その実体験こそが、都市農業の大切さを知る何よりのきっかけになると信じています」
(※)大会における選手権の進行具合と大根の抜け具合を見計らって設けられるエリアのため、毎年確実にあるわけではありません。
白熱の決勝戦。熱い声援はまさにスポーツ!
「制限時間内に何本抜けるか」を競う、選手権の部。2本折ったら失格、故意に折るのももちろん厳禁という厳しいルールが敷かれています。
そこには、丹精込めて育てられた大根を一本たりとも無駄にしたくないという、作り手の深い愛情が込められているのです。
一本抜くごとにスタート位置にいる審判の元に大根を置きにいかねばならない。
2025年の決勝戦は2分間。走り続ける持久力も試される。
迫力の男性決勝戦。握力や背筋など全身の力のほか、畝の運も試される。
運命の決勝戦は、わずか2分間の限界バトル。男性トップが27本という驚異的な記録を叩き出す中、女性トップはそれをさらに上回る、まさかの「34本」を記録!
記録が発表された瞬間、会場は激しくどよめき、どこからか「バケモノだ……!」という最大級の賛辞(?)まで聞こえてくるほどの熱狂に包まれました。
実は、その「バケモノ」と呼ばれた優勝者は、この記事を書いている私です。恐縮ながら、全力で抜かせていただきました。
青空の下、畑で行われる順位発表。健闘を称え合い、会場が温かい拍手に包まれる、毎年欠かせない大切なひとときです。
強さの理由は日常にある
決勝の直前、共に戦う女性選手たちに「強さの秘訣」を聞いて回ると、子育て真っ最中の母、保育士、看護師など、日頃からタフに身体を動かしている方々ばかり!
翻って私はといえば、普段はどっぷりデスクワークの毎日。しかし思い返せば、練馬区農業体験農園(※)での中腰作業や、趣味の日本舞踊でぐっと腰を落とす動作が、知らぬ間に最高のトレーニングになっていたようです。
本番で踏ん張れたのは、まさに「畑」と「師匠」が授けてくれた足腰のおかげ。無意識のうちに積み重ねていた鍛錬が、まさかの勝利を連れてきてくれました。
(※)練馬区が発祥の制度。利用者は入園料・野菜収穫物代金を支払い、生産緑地を農園主から貸借する形で園主(農家)の指導のもと種まきや苗の植え付けから収穫まで、年間20種類以上もの収穫体験ができる。
男性優勝者。強さの秘訣を伺うも、こちらは「普通のサラリーマンです」と!
練馬大根がつなぐ、地域と未来
今回もまた、参加者の数だけドラマと笑顔が生まれた「練馬大根引っこ抜き競技大会」。
これは単なる収穫イベントではありません。地域の人々の想いが集結し、「食」と「教育」、そして練馬の「未来」を一本の大根でつなぐ、かけがえのない場なのだと改めて実感しました。
そして何より、この最高の舞台を整えるため、酷暑の夏から5,000本の大根を守り抜いた「高松みらいのはたけ」の矢作さんと長岡さんに、心からの敬意と感謝を捧げます。
私たちが力いっぱい引き抜いた大根の一本一本には、お二人が注いだ情熱と、大会への熱い想いがしっかりと宿っていました。
家族の応援に駆けつけた中学生も、収穫の楽しさを体験!
競技用とは別に用意された「自由に抜いていい畑」で、ずっしりと重い練馬大根の手応えを通して、都市農業の豊かさに触れました。

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都市農業ライター
三文字 祥子/SHOKO SAMMONJI
都市農業ライター「畑と私」
広告などの企画・編集・コピーライターを続けてきた傍ら、練馬区での都市農業を楽しんで暮らす。
都市農業のすばらしさを“農業素人”目線でレポートします!
密かに練馬大根引っこ抜き競技大会4度優勝の実力者。
趣味は三味線、民謡、盆踊り。
Instagramでも、日々の農業体験農園を綴っています。
▽ https://www.instagram.com/hatake.to.watashi/























