くさやは伊豆諸島で発展した発酵食品
くさやは、開きにしたトビウオやムロアジを、伊豆諸島に伝わる「くさや液」に漬けこんで干した発酵食品です。島ごとに製法が異なり、味わいもそれぞれ特徴があります。
みなさまは「くさや」を食べたことはありますか?
くさやは、東京の伊豆諸島に伝わる伝統的な水産発酵食品です。独特な香りで知られていますが、その香りの奥には、魚のうまみを引き出す発酵の力があります。
今回お話を伺ったのは、八丈島で「ヤマサ水産 長田商店」を営む長田隆弘さん。くさやの製造を続けるだけでなく、子どもたちへの食育や大学との共同研究など、八丈島のくさや文化を未来へつなぐための活動にも取り組んでいます。
300年以上にわたって受け継がれてきたともいわれる、伊豆諸島の伝統食「くさや」。その奥深い魅力と、次の世代へ伝えていく作り手の想いを伺いました。
くさやは、開きにしたトビウオやムロアジを、伊豆諸島に伝わる「くさや液」に漬けこんで干した発酵食品です。島ごとに製法が異なり、味わいもそれぞれ特徴があります。
写真提供:ヤマサ水産 長田商店
江戸時代、伊豆諸島では塩が貴重だったことから、魚の干物を作る際に塩水を繰り返し使うようになったことが、くさや液の起源といわれています。長年使い続けられてきたくさや液には、さまざまな微生物が生息しており、そこに魚を漬け込むことで発酵が起こります。
くさや液に含まれる微生物が魚のたんぱく質などに作用することで、独特の香りが生まれるとともに、うまみも増していきます。現在も、くさや液の微生物や発酵の仕組みについては研究が進められています。
私が初めて八丈島のムロアジくさやを食べたとき「これは新しいおいしさだ!」と感じました。干物にチーズの風味を加えたような、奥行きのある味わいです。
確かに匂いは強いのですが、それほど気になりません。ご飯が進んで、一尾きれいに食べてしまいました。納豆やぬか漬けなど、発酵食品が好きな方なら、その独特の風味も楽しめるかもしれません。
くさやの作り方は、大きく分けると次のような工程です。
①原料の魚(トビウオ、ムロアジ)を開いてくさや液に漬けこむ
②一晩おいて取り出し、水に浸して塩を抜く
③身を整えて乾燥させる
写真提供:ヤマサ水産 長田商店
長田さんがくさやを作るうえでもっとも大切にしているのが、魚の鮮度です。
水揚げされた魚を速やかに加工場へ運び、一尾ずつ開いていきます。
興味深いのは、ムロアジとトビウオで開き方が違うこと。足が早いムロアジは腹開き、鮮度が落ちにくいトビウオは見栄えが良くなる背開きにします。
ムロアジを開いたら、真水で血抜きをしてからくさや液に入れます。一方、トビウオは水を使わず、血合いや脂をきれいに取り除いてから漬け込みます。
漬けこむ時間は加工場によって異なり、長田さんは夏は8時間、冬は12時間を目安にしているそうです。発酵が始まると、次々に白い泡が出てきます。
写真提供:ヤマサ水産 長田商店
くさや液から引き上げた魚は、水に浸して塩抜きをします。この工程は、八丈島のくさや作りの特徴のひとつ。長田さんによると、塩分や香りをほどよく抑え、比較的マイルドな味わいに仕上げるために行っているそうです。
その後、魚を網に並べて乾燥させれば、くさやの完成です。
写真提供:ヤマサ水産 長田商店
八丈島では、時期によって魚の状態が変わります。
ムロアジは、漁が解禁になる8月ごろはまだ小さいものの、9月、10月と進むにつれて大きな成魚へと成長します。
一方、トビウオは漁の時期によって「春トビ」と「夏トビ」に分けられます。
春トビとは、トビウオ類でもっとも大きな「ハマトビウオ」のことです。中には、体長が50cmに達するものもあるそう。夏トビは単一の種類ではなく、アヤトビウオ、ツクシトビウオ、オオアカトビなど数種類のトビウオの総称です。
くさやの愛好家のなかには、特定の時期にしか揚がらない 魚を狙って注文する人もいます。
たとえば8月のムロアジを楽しみたいという人からは、6月ごろから予約が入り始めることもあるそうです。
魚の旬や大きさによって味わいが変わることも、くさやの楽しみのひとつです。
「ヤマサ水産 長田商店」は、漁師だったお父様が立ち上げた加工場です。現在は長男の長田さんが跡を継ぎ、くさやの製造と販売を行っています。
写真提供:ヤマサ水産 長田商店
実は大学時代まで、くさやが好きではなかったという長田さん。その魅力に気づいたのは、北海道で水産技術者として勤務した後、八丈島にUターンしたときでした。久しぶりに食べたくさやが、びっくりするほどおいしく感じられたそうです。
「私の中で、くさやのイメージが一変した瞬間でした。島の外で暮らす人にも、この味をぜひ知ってほしいと強く思いましたね。そのために、まずはくさやの魅力を全国にしっかり発信しようと決めました」
それ以来、長田さんは「くさやの伝道師」として、水産技術の知見と人生経験を活かした、さまざまな活動を行ってきました。八丈島の加工場に向けた技術冊子の制作や、大学との共同研究、Webサイトでの情報発信など、その活動は多岐にわたります。
現在、長田さんがもっとも力を注いでいるのは、島内外の子どもたちに向けた食育の取り組みです。
長田さんには「子どもたちにくさやの魅力を伝えよう」と決意するきっかけになった出来事がありました。
写真提供:ヤマサ水産 長田商店
もう20年以上前、長田さんが加工場で、小学生の男の子と話していた時のことです。突然やって来た観光客が、一言「臭い」と言い残して去って行きました。
それを見た男の子の言葉が、今でも長田さんの胸に強く残っているといいます。
……いい匂いなのにね。
「その言葉を聞いたとき、私の頭の中に、大人になったこの子が『あの臭いくさやが好きなの?』と呆れられる場面が鮮明に浮かびました。本来、くさやは美味しいものであるはずなのに」
これではいけない、くさやのイメージが「ただ臭いもの」であってはならない。危機感を覚えた長田さんは、島の食文化の担い手として、くさやの魅力を島内外の子どもたちに伝えていこうと決意しました。
例えば匂いについて、長田さんはこのように話しています。
「お肉が好きな人は、学校から帰ってきたとき、焼肉の香りが漂ってきたら嬉しいよね。同じように、くさやが好きな人は、台所から焼ける香りがすると『やった、晩ごはんはくさやだ!』って思うんだよ。だから、くさやはいい匂いなんだ」
長田さんの食育活動は、八丈島だけにとどまらず、島外にも広がっていきました。
毎年、島外の子どもたちが数十人のグループで、長田さんの加工場へやってきます。多いときは、半月で5組以上の訪問があるというから驚きです。
長田さんが伝えるのは、くさやの作り方や歴史だけではありません。人生の失敗談や夢の広げ方など、自身の経験も交えながら、子どもたちに語りかけます。
「見学に来る大多数の子どもたちは、くさやを一度も食べたことがありません。でも、通りいっぺんの説明ではなく『くさや液にはこういう菌がいてね』と具体的に話していくと、興味を持って聞いてくれます。そこから人生の話に移ると、子どもたちの記憶に深く残るんですよ」
話を聞いた子どもたちのなかには、そのときのノートを持って13年後に再訪した人や、八丈島に移住して漁師になった人もいるといいます。長田さんは「彼らの心が動いたのは、八丈島という地域性と、そこに根付く食文化があってこそ」と考えているそうです。
そんな長田さんに、くさやという産業をどのように捉えているのか伺いました。
「くさやは大量生産できるものではありません。ムロアジとトビウオの漁獲量にも、くさや液の量にも限界がありますから。だから私は、くさやを産業として継続するというより、子どもたちへ残す文化として作り続けようと思っています。」
くさやを食生活に取り入れている人の割合は、年代が若くなるにつれて減っていくといいます。もっとも消費量が多いのは、普段からくさやを口にしてきたシニア世代。その子どもに当たる50台前後のミドル世代も、くさやに慣れ親しんでいました。しかし、さらにその下の世代になると、食べる習慣があまり根付いていないそうです。
そのすき間を飛び越えて、くさやの食文化を取り戻し始めているのが、長田さんを訪ねてくる子どもたちです。
写真提供:ヤマサ水産 長田商店
長田さんは、やわらかい表情でこう語ります。
「最初からくさやが好きになった子も、初めて来たときはダメだったのに翌年には食べるようになった子もいます。子どもたちが家に帰って、ご両親にくさやのおいしさを伝えてくれるのはとても嬉しいですね。」
八丈島では、子どもたちがくさやについて学び、そのおいしさを伝える「くさやプロジェクト」が始動しました。島の加工場を回ってくさや液の漬けこみ時間を比較したり、保育園を訪ねて試食会を行ったりと、積極的に活動しています。
伊豆諸島のくさや文化は、島ごとに独自の発展を遂げてきました。そのため、製法も味わいもそれぞれ異なります。
新島の作り手は、八丈島の加工場が行う、塩抜きの工程に驚いたそうです。一方で、八丈島の人が新島のくさやを食べると、風味の強さにびっくりすることもあるとか。
写真提供:ヤマサ水産 長田商店
現在、大島・新島・八丈島の作り手たちは島の垣根を超えた、新たな取り組みを始めようとしています。それは、各島のくさやの個性を統一せず、そのまま活かしながら進めるプロジェクトです。
長田さんは「それぞれの島に伝わる特徴をお互いに知り合って、くさやの魅力を一緒に発信していきたい」と話します。
300年以上の長きにわたり、大切に守られてきた「くさや」。
独特の香りの奥には、先人たちの知恵と、島の環境に合わせて培われてきた発酵の技術があります。
そして今、その食文化を次の世代へ伝えようとする作り手と、くさやの魅力に触れる子どもたちの存在があります。こうした人と人とのつながりが、伝統に新しい風を吹きこんでいくことでしょう。

「人に歴史あり」を座右の銘に活動しているフリーライターです。
好きなものはバイクとサッカー観戦、苦手なものは庭の雑草とオバケ(ただし霊感はまるでなし)。
野菜のおいしさや食べることの素晴らしさを伝えていきたいと思っています。




