江戸前のアナゴ漁を守る 野口喜久雄さん

午前4時30分、東京湾のアナゴを求めて出漁

寿司でも天ぷらでも、アナゴは江戸前の料理を代表する食材の一つです。最近は海外産のアナゴに押され気味で江戸前アナゴを味わえる機会は少なくなっています。「江戸前は脂ののりがよくて旨いよ、なにより面構えが粋なんだ」と言いながら笑みを浮かべるのは、東京湾で20年以上アナゴ漁を続ける野口喜久雄さん。午前4時30分、まだ薄暗い多摩川河口から漁に出る野口さんの船に乗せていただきました。漁は長年コンビを組んでいる松永昌久さんと2人で行います。20分程で木更津と横浜の中間あたりの漁場に到着。漁のスタイルは筒漁とよばれるもので、前日に沈めておいた塩化ビニールの筒(アナゴ筒)を引き上げるのがこの日の仕事です。筒の中にはエサのイワシが入っていて、エサにおびき寄せられて筒に入ったアナゴは、両端に三角すいの蓋があるため逃げられないという仕組み。漁場には500本程のアナゴ筒が15~16kmのロープで結ばれたものが仕掛けられています。

隅から隅まで知り尽くした東京湾で漁を始める

道具類を甲板に配置して、いよいよ漁がスタート。野口さんが海底から引き上げたアナゴ筒を手に取って蓋を開け一瞬のぞき込んでから松永さんへ手渡します。松永さんは船底の生け簀につながる容器にアナゴを放ち、残ったイワシはバケツへ。さらに桶の水で筒を洗って丁寧に積み上げる作業も同時に行います。アナゴが入っている場合もあれば空振りの場合もありますが、無駄のない2人の動きには見とれるばかりです。最初の休憩を迎えたときには開始から1時間以上が経過。500本の筒すべてを引き上げるには3~4時間かかりました。 多摩川河口近くの釣り船宿に生まれた野口さんがアナゴ漁を始めたのは40代半ばのこと。それまでも釣り船を操り、大漁に胸躍らせる釣り人たちを案内していた野口さんにとって、東京湾は勝手知ったる自分の場所。転身するなら自分の場所を走り回る漁師だったといいます。小さな頃から海に親しんできた野口さんにとって“オカ”での仕事は想像できなったのかもしれません。1年後に当時19歳だった松永さんに声をかけ二人での漁がスタート。松永さんは現在44歳、立派なベテランですが東京湾の漁師仲間ではまだ若手に入るのだとか。

隅から隅まで知り尽くした東京湾で漁を始める

江戸前の文化や味を守る若手に期待

他の第一次産業と同様、この業界も若い人材が豊富なわけではありません。その日の天候や海の具合により漁獲が変動する中、年間を通じた漁獲をいかに一定以上確保するかが漁師という仕事の難しいところ。しかし、それが漁師の腕の見せどころでもあります。「遊びじゃないから」と野口さんはよく口にします。漁はあくまで生業(なりわい)であって、魚が獲れなければ「おまんまの食い上げ」ということ。これが野口さんの漁師としての腹のくくり方なのでしょう。現在70歳。野口さんはまだ船を降りるつもりはありません。松永さんも「漁師としてやっていく」と力強く語ります。「アナゴ漁師はやる気と体力があれば飯は食えるよ」と最後に野口さんが教えてくれました。東京湾でのアナゴ漁を未来につなぎ、江戸前の極上の味や文化を守ってほしい。途中の水門で船を降り、野口さんの船「川蝉」を見送りながらそう願いました。

江戸前の文化や味を守る若手に期待

アナゴ漁師

野口 喜久雄さん/NOGUCHI Kikuo

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