檜原村はコンニャクイモの産地
檜原村は自治体の面積としては奥多摩、八王子に続く都内3番目の大きさとなりますが、その93%が山林、人口は2,000人に満たない東京都の奥座敷です。
東京都の水源でもある水が豊かな檜原村ですが、急峻で平地のほとんどない地形はとても農業に向いているとはいえず、林業が昔から盛んでした。
檜原村の農業ではジャガイモが村のキャラクターともなっていますが、東京で他に類を見ない産品としてコンニャクイモが挙げられます。その檜原村のコンニャクイモを生産から製造まで50年以上支えてきたのが井上食品です。
井上食品代表の井上文喜さん
江戸時代から続くコンニャクイモ栽培
コンニャクイモはその名の通り和食には欠かせないコンニャクの原料ですが、夏の冷涼な気候と水はけのよさなど栽培適地を選ぶ難しさと、収穫に3年を要するなど手間も多い農産物です。
国内自給率は高く90%ほどですがその9割以上が群馬県で生産されており、東京では檜原村を中心として生産量はごくわずかです。
檜原村でのコンニャクイモ栽培は江戸時代中期に始まったといわれています。今では新たな品種が生産の大多数を占めていますが、檜原村の在来コンニャクイモは「江戸東京野菜」としても認定されています。
斜面地のコンニャクイモ畑での作業の様子。シルバー人材を活用している。
村で唯一のコンニャク製造業を営む井上食品は、まさに檜原村のコンニャクを今につないできた立役者といえます。今回、代表の井上文喜さんに詳しくお話を伺いました。
「コンニャク製造を始めたのは1968年、父の代です。檜原村で現金収入が得られる仕事があまりなくて、私が村でできる仕事をつくるという目的もあったようです。当時はまだ山の木もよく売れたもので、持山を一つ売って工場を建てたそうです。」
当時の檜原村ではコンニャクイモ栽培も盛んでしたが、加工工場はなく原料出荷のみでした。先代は村の生産物を仕入れて製造にあたり、高度経済成長、人口増のなかで随分と売れたそうです。
現在は、村内の数件の生産者と自社生産に加えて都外からも仕入れています。
コンニャクイモの栽培は通常、種芋を仕入れるところから始まります。生子(きご)と呼ばれる1年生の種イモを畑に植え込んで栽培し、霜が降りる前に掘り返して翌年また植えます。
コンニャクイモはシュウ酸カルシウムによるえぐみが強いので、それ自体が動物に食べられることはないのですが、イノシシなどに掘り返されてしまうことも多く、獣害対策の電気柵が欠かせなくなっています。
こうして植え付けから3年目に収穫できたイモを加工し、コンニャクが作られます。
収穫は一度にまとめておこなわれ、冷凍保存して通年の製造に備えることとなります。
コンニャクイモの生子(きご)の植え付け
今では希少となったコンニャクの「バッタ練り製法」
現在流通しているコンニャクの多くは、イモを一度スライス、乾燥させて製粉するコンニャク粉から作られています。粉にしてしまえば保管も流通も容易で、成型もしやすくなります。しかし、井上食品では茹でたイモをすりおろしてそのまま製造する生芋コンニャクにこだわり続けてきました。
「バッタ練りという方法で、すりおろしたコンニャクを羽の着いた機械で練って成型器に流し込みます。この時の加減で食感など変わります。もうこの機械自体が製造されていないので、長く使っている3台を直しながら使っています。」
バッタ練りもしくはバタ練りと呼ばれる製法は、コンニャクをかき混ぜるときにバッタバッタと音がすることから名づけられたといいます。手間がかかる一方で、味や食感が粉コンニャクとは大きく異なるということで根強い人気があります。
冷凍保存して通年の製造に備える
「『バッタ練りができなくなるような時代がきたら、またはコンニャクイモが採れないような時代がきたら潔くコンニャク製造を辞めてしまいなさい』というのが父の遺言で、なかなか大変ですが、日本でたった1軒となっても頑張ろうと思っています。」
事実、バッタ練り製法を今も続けているコンニャク製造工場は日本で数軒というほどまでに減ってしまったそうです。1回練るごとに機械を清掃するなど重労働で、その食味の良さから導入を検討する工場があってもなかなか続けるのが難しいのが現状です。
しかし、実際に完成した「さしみこんにゃく(商品名)」を醤油とワサビでいただくと、独特の歯ごたえのある食感とコンニャクイモの風味が口の中に広がり、他では味わえないようなおいしさです。
今では製造していない「バッタ練り機」修繕しながら長年使っている
(公財)東京都農林水産振興財団 YouTubeチャンネル
バッタ練りでは、粉の製造と違って生芋をすりおろして練る過程で、コンニャクのなかに気泡が無数に生まれます。その加減が、絶妙なおいしさを生み出しているそうです。気泡は煮物にした場合でも、旨味のしみこみ具合がよくなるという効果も生み出します。
見学フロアーで「コンニャク好き」を増やす取り組み
もう一つ井上食品の工場の特徴として、製造過程を見学できるフロアーが設置されていることが挙げられます。
「小学校の副読本に檜原村のコンニャクのことが載っていたこともあって、見学の希望が随分とありました。私も子どものころ社会科見学というのが大好きで、平成8年(1996年)に工場を立て直す際に、製造過程を見てもらえるようにこのフロアーを作りました。資金がかかるので、妻には随分反対されたんですけど(笑)。」
製造工程が一望できる見学フロアーがある
結果として、商談などの際にも活用され、バッタ練り製法についても実際に目にしてもらいながらその価値を伝えることができるようになったそうです。
現在、国内のコンニャク需要はこの30年間減り続けています。コロナ禍においてコンビニ店頭でのおでん販売がなくなったこともそれに拍車をかけました。
一方、低カロリーでヘルシーな食材として海外での需要は増えています。
日本においては手軽な日常食として親しまれてきたコンニャクですが、海外ではコンニャク麵としてパスタの代わりに食されるなど特別な食材としても扱われており、新たな需要を生み出す可能性を秘めています。
檜原村と井上食品がつないできた「東京産のコンニャク」も将来に向けて、より付加価値の高いものとしての広がりを見せるのかも知れません。
独特の食感と風味で人気の「さしみこんにゃく(商品名)」
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㈱農天気 代表取締役 NPO法人くにたち農園の会 前理事長
小野 淳/ONO ATUSHI
1974年生まれ。神奈川県横須賀市出身。TV番組ディレクターとして環境問題番組「素敵な宇宙船地球号」などを制作。30歳で農業に転職、農業生産法人にて有機JAS農業や流通、貸農園の運営などに携わったのち2014年(株)農天気設立。
東京国立市のコミュニティ農園「くにたち はたけんぼ」「子育て古民家つちのこや」「ゲストハウスここたまや」などを拠点に忍者体験・畑婚活・食農観光など幅広い農サービスを提供。
2020年にはNPO法人として認定こども園「国立富士見台団地 風の子」を開設。
NHK「菜園ライフ」監修・実演
著書に「都市農業必携ガイド」(農文協)「新・いまこそ農業」「東京農業クリエイターズ」「食と農のプチ起業」(イカロス出版)