宮崎駿監督の映画ではなく、吉野源三郎先生の小説の「君たちはどう生きるか」では、14歳のコペルくんとおじさんが「生産関係」について考えるくだりがあります。食べ物が誰の手で作られ、どのような人たちの手を経て運ばれ、加工され、自分の口に入るのか。それを知ることで、自分と世の中の関わりを考えていくことが、単なる自分中心の天動説から地動説への進歩のようなので、コペルくんというのが主人公のあだ名なのです。

今回の物語の主役である学校栄養職員の木原慶子さんが、中野区立緑野中学校での給食を通じて子どもたちに伝えていることも、「君たちはどう生きるか」のヒントになることなのかもしれません。今回は、その活動をお伝えします。

食との出会いを紡ぐ給食

不足しがちな栄養を補う学校給食摂取基準を満たし、アレルギーなどへの配慮もしながら予算内の献立を作成するだけでも大変なことですが、木原さんは、地域の食材を使ったり、子どもたちが普段口にすることが少ない食材を使ったりと、献立にさまざまな工夫を凝らします。

「ルーロー飯には八角が入った五香粉を入れますし、木の芽や茗荷やうどなども、大人の味ですが、3年生になるまでには食べられるようになると良いなという気持ちで入れています。」と木原さん。

約400人分の材料を揃えるのに、質の良い地域産品を使うことは、予算のやりくりもあり、天候による収穫のタイミングなどにも左右されるものもあるため、容易なことではありません。地域の給食食材の卸売事業者との連携と、地域の産品を届けたい生産者の想い、生産者とのつながりを大切にする木原さんがあってこそ、仕入れられている食材たちです。

(写真左):本格的なルーロー飯。
(写真中):コンベクションオーブンあればこその、皮から作る肉まん。
(写真右):スパイスカレーも本格派です。

食材だけではなく献立も、生徒の興味につながるものを考えることも。新海誠監督の「天気の子」に登場した豆苗ポテチャーハン、国語の教科書の「盆土産」に出てくるエ(ん)ビフライ(給食では冷凍ではないフライでした。)、社会科で学習する国の料理。家庭科の宿題で生徒が考えた献立を実際の給食にする取組みもされています。

食材や献立を取り込むだけではなく、木原さんは食材や生産者さんについての情報を伝えることにも全力を注ぎます。その日の給食を作っている様子が、お昼休みにはもう校内に掲示されます。双方向のGoogle Classroomを活用して生徒へ知らせたり、休日に農園に行く木原さんに、部活動の一環として生徒が同行することもあるそうです。

美味しい野菜を作る農家が、どのような仕事をしているのか。物を生産するとは、作ったものに誇りを持つとはどういうことなのか。そもそも働くということはどういうことなのか。
今日食べた野菜はここから来たよという話題から、そうしたことを生徒に感じてもらいたいと木原さんは言います。

充実の給食だよりや今日の献立説明。生徒のレシピが献立になるコラボメニューの紹介も。

図鑑を拡大コピーしたキハダマグロの迫力は圧巻

さつま揚げのすり身になっているキハダマグロの大きさを実物大で伝えることで、海の中の環境と自分が繋がっていることを感じることができます。こんな大きな魚が泳ぐ八丈島の海がどんなところなのか、想像するきっかけになるはずです。

ひとつひとつの野菜の姿と味、同じみかんやりんごでも品種ごとに味が違うこと、同じものを食べても人によって感じ方が違うことも、口に出して語り合ってはじめて感じることでしょう。

食にまつわる詩や物語があり、生活や産業や歴史があること。アンテナを立てて世界を見渡せば、様々な知的な発見の喜びがあることを木原さんの給食は教えてくれます。

(写真左):風情を感じる江戸東京野菜紹介。
(写真中):充実の生産者紹介からは、楽しく農の課題を学ぶことができます。
(写真右):りんごも柑橘も季節のリレーがあります。

食べる喜びのために

さあ、給食の時間になりました。取材日は東京都下に雪が積もった日でしたが、昼休みの学校は生徒の歓声でいっぱい。献立は、麦ごはん、冬野菜と豆腐のそぼろ煮、ごまみそ和え、東京都産ほうじ茶プリン、牛乳。瑞穂町産のほうじ茶が今日の注目食材です。焙じた香ばしいお茶のかおりが伝わるでしょうか。他にも八丈島のうみかぜ椎茸、カジキマグロのさつま揚げ、小松菜、白菜、味噌、キャベツ、ねぎとすべて東京産の食材です。
早速おかわりを決めるじゃんけんがはじまっています。

給食の様子を見に各クラスをまわる木原さんに、子どもたちが無邪気に声をかけます。「木原先生、今日のプリンおいしかったです!」「この前の芋ようかんのレシピください!」などのやりとり、好きだった献立、苦手なもの、食べてみたいものなども、こうしたやりとりの中で伝えられることがあるそうです。作り手としても、食べ手としても何て幸せな時間でしょうか。学校全体も明るい活気で満たされているのが、クラスごとの配膳風景からも伝わってきます。入学時は食が細かった生徒でも、沢山食べる先生や生徒に囲まれて過ごしていくうちに、食べることが好きになっていくのだそうです。

盛り付け後、教員が生徒と会話をしながら量を増減。
「野菜もっと食べたら」と先生が自然に生徒の食べる量を把握していきます。
ちなみに先生は超大盛りです。

(写真左):さっそくおかわりじゃんけんタイム。
(写真中):たまの麺料理とカレーが美味しいと、王道を愛する1年生。
(写真右):やさいが美味しい。練馬大根のおでんがおいしかったとのこと。そうそう出汁が美味しいよね、と2年生は1年生より少し大人の意見。

我々取材陣も給食をいただきました。

やさしい味とはこのこと。

業務用のカッターではなく、調理師さんの手で食材はひとつひとつ丁寧に切られており、白菜も固い軸に近い部分と葉先に近い部分を丁寧に切り分けて加熱していますから、食材ごとの火の通りも口当たりも完璧です。肉厚のうみかぜ椎茸は、敢えてさっと煮ているので食感がぷりぷりでした。
何より出汁の風味の豊かさ。顆粒だしや業務用のだしパックを用いる大量調理施設もある中で、出汁もきちんとひいて調理がされています。ごまみそ和えのごまも、ごまドレッシングの上からさらにすりごまをかけているので、ごまの香りが際立ち、水気もちょうどです。小松菜のしっかりした歯ざわりもアクセントです。ほうじ茶プリンの優しい大人の味わいには、驚きました。
木原さんの献立は、こうした細やかな調理に心を砕く調理師さんに支えられて、形になっています。

(写真左):地域のお豆腐屋さんのお豆腐が美味しそう。
(写真中):手切りだからこその形が揃った“れんこん”たち。
(写真右):キハダマグロのさつま揚げ。滋味深いです。

(写真左):厚削りの鰹節からしっかりしたお出汁が。
(写真中):ドレッシングの味噌も東京の味噌で、色は濃いですが味はとても穏やか。小松菜の濃い緑もはっとする美しさです。
(写真右):昔の給食室の床は水を流していたそうですが、今は水はねによる雑菌混入を防ぐため、しっかり乾いています。床を濡らさず、ざるを運ぶ道具が使われていました。

(写真左・中):プリンをひとつひとつ仕込みます。こんなデザート、筆者の子供の頃は想像できませんでした。
(写真右):高額なコンベクションオーブンは、大量かつ均一な加熱ができる優れもの。ねぎをまるごと蒸したり、中華まんや手作りパンなどの特別メニューも実現。生徒たちの楽しみでもあり、粉物によるコスト削減の味方でもあります。

こんなに美味しい給食を毎日食べられて、学べて、さぞかし生徒たちは、意識が高くなっているのではと思いますが、木原さんは、「東京産野菜が使われていることも日常のことですし、子どもたちはこれが普通で当たり前という気持ちで過ごしていると思います。」と言います。食べて楽しいことが大事ですから、いただきますの前に当番が読み上げる説明もできるだけ短くしているのだそう。

その言葉に胸を打たれました。本当の幸せは、日常が豊かなことなのだなと。特別なカリキュラムで勉強するわけではなくて、毎日が食の楽しみに満ちた場所こそ、本当に食育の天国だなと感じました。

この記事が皆さんの目に触れる頃には、緑野中学校の3年生は、卒業を迎える頃でしょう。手作りパンの特別感も、カレーが美味しかったことも、クラスメイトの考えた献立が給食に出たことも、楽しい学校生活の思い出として残ることと思いますが、自分で食事を作るようになったとき、添加物や保存料が多く含まれる惣菜加工品などを忙しく食べるようになったとき、一人で食事することが多くなったとき、きっと改めて楽しかった給食の時間の尊さを思い出すのではないかと思います。

当たり前の毎日が、沢山の人達の温かな手で支えられた奇跡だったと知るときに、人は大人になるのかもしれません。

沢山の人達に向けられるべき「ありがとう」を代わりに日々受け取って、調理員や生産者の皆さんに伝えていますと語る木原さん。

おわりに

食育基本法の制定からまもなく20年。すべての学校が緑野中学校のような理想に近付くことは難しいことですが、食を通じた学びの可能性がさらに広がっていくことを願います。
給食の無償化の動きが、より多くの子どもたちに豊かな食を届けることにつながり、各校の給食を支える栄養士さん、調理師さんたちにも報いることができるように、地域社会としてもさらに理解を深めていく必要があると感じています。

食農弁護士

桐谷 曜子/YOKO KIRITANI

1977年生まれ。神奈川県川崎市出身。大手法律事務所で弁護士として企業買収、企業法務に従事後、証券会社での勤務で地方創生、海外投資、ベンチャー投資等に深く関与。その後、2014年から2022年まで農林中央金庫に在籍し、食産業及び農業に関する投資、国内外企業買収、各種リサーチや支援業務に携わる。
自他ともに認める食オタクであり、法務知識のみならず農林水産部門に関する知見を用いて、ベンチャー企業含む事業者や生産者の各種相談対応、新規事業創出支援、資金調達や事業承継支援を行う傍ら、料理で人を繋ぐことで課題解決への貢献を目指している。

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