100年の時を経て蘇った酒造「東京港醸造」 東京芝の酒「江戸開城」の由来、「若松屋」の歴史と再興への思いに迫る!

あさやん: 酒が出てくる落語は色々あるけど、古典落語の「芝浜」は有名やね!腕は確かだけど飲兵衛で自堕落な生活に陥っていく魚屋と、それを支える情に満ちた賢い女房の心温まる人情噺!夫婦の愛情が温かく伝わってきて、僕、落語の中でも特に好きな噺なんよね。舞台は現在の東京都港区芝。俗に、映画やアニメの舞台となった場所をファンが訪れることを“聖地巡礼”なんて言ったりするけど、芝で「芝浜」に思いを馳せながら日本酒飲めたら最高やんか!…そんなん叶ったりする?

北井: その「芝浜」にぴったりすぎる酒蔵さんに来てるねん!

あさやん: ええー!?

北井: お前は分かって来てるやろ!今回は、まさにその古典落語の「芝浜」の舞台となった港区芝に、100年の時を経て酒造業を復活させた東京港醸造さんにお話を聞きに来ました。酒好き・落語好きの俺らにとって最高の機会やな!

あさやん: 嬉しいなぁ!「100年の時を経て酒造業を復活」って、なにやら東京港醸造さんにもロマンがありそうやね!よっしゃ!今日はお話をたっぷり聞かせてもらって、「芝浜」にリスペクトを込めて明日仕事できひんぐらい酔っぱらおう!

北井: それはリスペクトちゃうやろ!ほどほどにお酒はいただこう。まずは東京港醸造さんをつくられた若松屋さんの酒造業復活への思いや歴史をご紹介します。

銘柄「江戸開城」のルーツとは?幕末の志士との繋がり

幕末の頃の港区芝の地図。この土地で江戸時代に酒造業を興した「若松屋」。付近には若松屋に縁のある飯田藩下屋敷のみならず薩摩藩の上屋敷や蔵屋敷などが立ち並び、さらに魚河岸があったことから、界隈は非常に活気に満ち溢れ大いに賑わった。

北井: 若松屋の齊藤俊一社長に色々伺いました。

あさやん: よっしゃ。歴史や思いもお酒を美味しくする要素やからな。ええ感じでまとめくれよー!

北井: なんで他人事やねんな!東京港醸造さんを一言で言うと「100年の時を経て大都会に蘇った酒蔵」ですが、齊藤社長が持ち続けた熱い思いがあってこその酒造業の復活でした。
齊藤社長が7代目となる若松屋さんは、長野県で紙問屋をされたのち、文化9年(1812)、江戸へ移って酒造業を興すなど様々な事業を続けてこられました。

あさやん: 商人の家系として長い歴史を持つんやね!

北井: 幕末の真っ只中、芝で造り酒屋を営んでいた若松屋は、近所に屋敷を構えていた薩摩藩に贔屓にされ薩摩藩の御用商人になっていました。当時の若松屋は大屋敷で、居酒屋部分と酒蔵部分、それに特別な要人を接待するための奥座敷が設けられており、時にこの奥座敷は密会にも利用されたと言われています。というのも奥座敷の先には直接東京湾に通じる水路があり逃亡口として非常に最適な立地にあったためでした。西郷隆盛、勝海舟、山岡鉄舟、高橋泥舟といった歴史に名を残す偉人が頻繁に訪れたと言われています。

あさやん: おお!日本の歴史のターニングポイントに若松屋が?

北井: そう!西郷・海舟・鉄舟・泥舟と言えば、江戸城無血開城の功労者。若松屋は開国と江戸城無血開城という文明開化を目指した藩士たちの密談場だったと言えるでしょう!それが現在の東京港醸造さんの日本酒の銘柄「江戸開城」の由来です!
この歴史に思いを馳せて飲む酒は美味いに決まってる!てやんでいっ!

あさやん:てやんでい!って!ちょっと北井、熱くなりすぎやわ。


醸造所併設のテイスティングカー(角打ち)で立ち飲みが楽しめたり、向かいにある売店で買い物も楽しめる。

北井: あ、ごめんごめん。歴史も好きやからこういうストーリーがたまらんのよね。
しかし、時は流れて後継者問題、酒税法の変化に伴い若松屋は1812年から約100年間続いた酒造業を明治42(1909)年に廃業する事となりました。

あさやん: 廃業は残念やけど、歴史は色褪せへんよな。

北井: その通り!若松屋は戦後も雑貨業などを生業に経営を続けていましたが、7代目となった齊藤社長は、幕末・動乱の時代を生き抜いた若松屋の歴史と伝統に敬意をはらい、代々継承されてきた芝の土地で酒造業を再興することを切望し、ついに平成23年(2011)に酒造「東京港醸造」を開業、酒造業としての若松屋の再興を果たしたのです!

あさやん: 酒好きとしては自分ごとみたいに嬉しいなぁ!

北井: 幕末や明治期とは大きく変わった港区芝の街ですが、そこで商売を続けてきた齊藤社長は地元商店街への思いも強い方です。全国各地での「地域活性化」における酒蔵の存在の大切さを見てきたこともあり、「地元の商店街も盛り上げたい!」という気持ちも酒造業を復活させる原動力となりました。

あさやん: 齊藤社長、そのお気持ちしかと受け取りました!!それではそろそろお酒をいただきたいと思います!

北井: いや、まだやねん!酒造業復活のもう一人のキーマン、東京港醸造さんの酒造りの責任者、杜氏の寺澤さんにもお話を伺います!



東京港醸造のキーマン!酒造り経験豊富・アイデアマンの寺澤善実杜氏

齊藤社長との名コンビを組む寺澤喜実杜氏(写真中央)

あさやん: 杜氏の寺澤さんは日本酒の試飲イベントでちょくちょくご一緒してるよな!

北井: そうやな!寺澤さん、今日はよろしくお願いします!

寺澤杜氏: こんにちは!ようこそいらっしゃいました。

あさやん: 寺澤さんにとって日本酒とは?

北井: いきなりする質問ちゃうやろ!寺澤さんはどういう経緯で東京港醸造さんで杜氏を務めることになったんですか?

寺澤杜氏: 私は京都の山間部の兼業農家の家庭で育ったこともあって、農業に関わる仕事がしたいなという思いと、微生物にも興味があったので日本酒造りの道へ進みました。最初は京都伏見の大手酒造メーカーで勤めたんですが、その20年間は「良いお酒がどれだけ効率よく造れるか」という酒造りを日々やっていました。そんな中、2000年に転機が訪れて、勤めている酒造メーカーが東京のお台場で「台場醸造所」という醸造規模の小さなクラフトサケ醸造所を立ち上げることになり、その醸造責任者として抜擢されたんです。これは受けるかどうか悩みました。

北井: 仕事の環境が大きく変わりますもんね。

寺澤杜氏: それもあるんですが、趣味のロードレースにもかなり本気でハマっていて、ロードレースができなくなるんじゃないかと、、、

北井: そこで悩んだんですか!?

あさやん: お気持ちわかります。

北井: わかるんかい!でも40歳でライフワークも出来上がっているところでの大きな転機ですよね。

効率的な造りも伝統的な造りも熟知する寺澤杜氏は酒造りの道具や製法についてのアイデアが止まらない。コロナ禍以降は味噌や醤油の製造も手がける。

寺澤杜氏: 結局醸造責任者として台場醸造所に移り、2009年に歴史が終わるまで勤めました。レストランやショップも併設していたんですが、場所柄、修学旅行生とか車で訪れるご家族連れが多かったのでお酒の試飲も購入も勧められないことも多かったんです。

あさやん: 修学旅行生相手は厳しいですね!!笑

寺澤杜氏: それでも経営していかなきゃ!と思って学生さんのためにかき氷の販売などもやりましたよ。その頃出会ったのが齊藤社長で、杜氏がかき氷を売っている姿が齊藤社長には面白かったみたいですよ。笑

北井: 寺澤さんのアイデアや気迫が伝わったんですかね!

寺澤杜氏: そして台場醸造所の閉鎖が決まったことで、齊藤社長から酒造業復活への手助けをして欲しいと熱心に声をかけてもらいました。
しかし、醸造所建設に関する初期投資を回収するのも至難の業ですし、日本酒を造る免許の取得は非常にハードルが高いことをよく分かっていたので、「儲かりませんよ。事業として難しいですよ」と何度もお伝えしたのですが、「それでも良い」という熱意に負けまして齊藤社長と歩んで行くことを決めました。今思えば台場醸造所での酒造り以外の経験が今の東京港醸造での仕事にも大いに活きてますね。

あさやん:なるほど。それでかき氷にかける日本酒を開発されたんですね!

北井:いや、そんな商品はないよ!美味しそうやけど。

工夫が凝らされた敷地22坪のコンパクトな酒蔵!

敷地22坪、鉄筋コンクリート4階建てのビル内で徹底した温度管理の元、年間を通して酒造りが行われる。

寺澤杜氏: せっかくなんで醸造所の方も見て行ってください。

北井: ありがとうございます!

寺澤杜氏: 醸造所は元々齊藤社長の自宅だった建物を工夫を重ねて改装しました。路地の中にある立地なので日当たりがあまり良くないんですが、涼しい場所でやるべき酒造りにとっては良かったんですよ。

北井: なるほど!醸造所には適してたんですね。

あさやん: 社長はあたたかい麹室で寝てるんですか?

北井: いや、そんなわけないやろ!

寺澤杜氏: 社長は引っ越しされてますよ。笑

酒造道具や米麹をつくる専用部屋「麹室」のサイズは小さいながらも普通の酒蔵と変わらぬ設備が整う上に寺澤杜氏の工夫が感じられる

北井: コンパクトなスペースながら随所に工夫が見られますね!

寺澤杜氏: ありがとうございます。小さな醸造所を経験したからこそ制限がある状況に慣れていたんで色々工夫できました。東京港醸造はどぶろくやリキュールの免許を取得して少しずつ実績を作って時間をかけて日本酒造りに辿りつけましたけど、その時間や苦労があってこそ限られた条件の中でも全国の地酒蔵にも負けないクオリティのお酒ができていると思います。
欲しい酒造免許や素晴らしい酒造環境がすぐに手に入ってしまうと工夫したり改善したりしなくなるんですよね。小さな工夫の積み重ねでお酒のクオリティも上がっていくのだと思います。

あさやん: いいですねー!『ローマの休日』といったところですね。

北井: 「ローマは1日にして成らず」、やろ?
大都会での酒造りを通じて寺澤さんが大切にされてることってなんでしょうか?

寺澤杜氏: こういう規模の小さな酒造りでは「必要なものだけ作る」「ロスを少なくする」という考え方が大切だと思います。

北井: なるほど。在庫をあまり抱えないように。

寺澤杜氏: 食料品がロス前提で商品棚に溢れている現代は豊かでもありながら不自然さも感じます。
「品切れの時はお客さんが待ってくれる」ぐらいの状態がここでの酒造りにとっては理想です。かつての日本のようにお醤油やお酒が「足りなくなったら買いに行く」「お隣さんに借りる」という生活もいいと思います。

北井: 落語の世界のように人情溢れる世界ですね!さすが人情噺「芝浜」の舞台!
寺澤杜氏、ありがとうございました!

寺澤杜氏: ありがとうございました!ではこの後はテイスティングカーできき酒を楽しんでいってください。

あさやん: 待ってました!!西郷どんか勝海舟も飲みに来てるかな?

北井:いや、時空超えて飲みに来てるか!

大都会、港区芝での酒造りに秘められたストーリー・歴史は魅力たっぷりでした!テイスティングはコラム後編で!

きき酒師の漫才師 『にほんしゅ』

あさやん & 北井一彰/ASAYAN & KITAI KAZUAKI

コンビ揃って「きき酒師」の資格を取得した、世界で唯一の漫才師。
《食卓には呑む日本酒。話題には漫才師にほんしゅ。》を目標に、オンラインも含めて全国各地の日本酒イベントや蔵開きに出演している。
また、初心者向けの日本酒講座「日本酒ナビゲーター認定講座」を定期的に開催しており、2021年8月現在では800名以上の生徒を誕生させている。
きき酒師や日本酒ナビゲーターの資格認定団体、NPO法人FBO(料飲専門家団体連合会)から特別功労賞を与えられた。

東京港醸造

所在地
〒108-0014 東京都港区芝四丁目6番10号
WEBサイト
http://tokyoportbrewery.wkmty.com/

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東京 醸造探訪記

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