材料(作りやすい量・今回は分量をはかってください)
シシトウ ひとパック 16本程度
鶏もも肉 400g程度
(唐揚げ用にカットしてあるものが丁度いいサイズ。)
ネギ 1/2 本
ショウガ 1片
ニンニク 1片
ゴマ 大さじ1(炒りゴマでも、すりゴマでも。)
醤油 大さじ3
砂糖 大さじ1.5
酒 大さじ2
ゴマ油 大さじ1
七味唐辛子 お好みで
シシトウは、年間を通して流通しており、東京での栽培も盛んです。
今回は、私が10代から作っているシシトウガラシが主役の一品をご紹介します。
シシトウ ひとパック 16本程度
鶏もも肉 400g程度
(唐揚げ用にカットしてあるものが丁度いいサイズ。)
ネギ 1/2 本
ショウガ 1片
ニンニク 1片
ゴマ 大さじ1(炒りゴマでも、すりゴマでも。)
醤油 大さじ3
砂糖 大さじ1.5
酒 大さじ2
ゴマ油 大さじ1
七味唐辛子 お好みで
① ネギ、ショウガ、ニンニクをみじん切りにします。
② シシトウは破裂しないように手で割くか、竹串などで穴を開けます。
③ 鶏肉は唐揚げ用くらいのサイズに切り分けます。
④ 16cmから18cmほどの大きさの小鍋にシシトウ以外の材料を入れ、蓋をして弱火で12分加熱します。
⑤ 10分程度経過したところで、シシトウを投入します。
⑥ 蓋を外し、汁気が残っていたら汁気を飛ばし、照りが出たら完成です。
⑦ 器に盛り、お好みで七味唐辛子や追加のゴマ(分量外)をふってください。
本当に12分で火が通るのか、水を入れずに焦げ付かないのか、不安になりますが、鍋の大きさと火加減を間違えず、“信じて待てば”、この分量で必ず仕上がります。もしも失敗したら時間を微調整してください。
ニンニクやショウガのみじん切りが面倒なら、チューブ調味料で省略してもよいです。
甘辛い鶏肉に、シシトウの苦みがちょうどよいおかずです。
同じ鍋、同じコンロで、何回でも作り続けて加減を見極めていくと、必ずや忙しいときの味方になる一生物のレシピになります。
お子さんの最初の得意料理に、おすすめです。
ネギはどう切っても過熱後、形は残りませんが、今回は表裏蛇腹に切ってから刻んでいます(注:筆者は左利きです)。
軽く割いて、シシトウの破裂を防ぎます。
加熱前の様子。鍋の直径は18cmです。
12分経過後。ほぼ完全に仕上がっています。
できあがり。シシトウを分けて盛り付けるときれいです。
このレシピは母から教わったものです。我が家は父が私が10歳のときに病死し、私が料理をして働く母の帰りを待つことが増えました。
当時はインターネットもありませんし、レシピと呼べるような料理はほとんど作れず、とにかく家にあるものを炒め合わせて20分程度で食事にし、余りを弁当にするような暮らし。
その中で、このレシピとお好み焼き、生姜焼き、卵焼き、海苔弁を自分で作れることが、約束された味で心と胃袋を確実に満たしてくれました。
日頃自分で作る分、時折母がカツ丼やいなり寿司を作ってくれるのが、とりわけ嬉しかったものです。
専業主婦だった母が40歳手前にして外で働き、自分自身もどうなりたいのか分からず、不安定なその日暮らしのような中で、曲りなりに食事を用意することで、単に親に扶養されている子どもから、暮らしを担う家族の一員として、母とは連帯もしましたし喧嘩もしました。
はずみで家出もしたりしてじたばたしましたが、母は「気が済めば帰る」と探しもしませんでした。
油煮のごとく信じて待たれたことに、もう甘える年齢ではないのを感じたことを懐かしく思い出します。
繁延あづさ著「ニワトリと卵と、息子の思春期」 婦人之友社
繁延あづささんの本書は、まさにタイトル通り、作者の小学6年生の息子が庭先養鶏をはじめたいと言い始め、小遣い稼ぎや家出など、思春期の親子らしい葛藤と同時に、ニワトリたちの命を養う中で家族が体験していく日々を綴ったものです。
本書の作者が、カメラマンであり、ライフワークとして出産の撮影を行っていることから、文章で切り取られる日常が写真としても鮮烈に記録されていて、映画を観たような読後感があります。
シシトウと鶏肉を煮ていた中学生当時の私は、自炊と家出こそ、本書に登場する長男と同じく取り組みますが、養鶏と命の重みを考える知性を持ち合わせてはいませんでした。しかし、現代の小学生は学校教育の中で命の重みについて考えることを学びます。
「命の重みは皆同じか」という授業での問いかけに、「経済動物」の概念がある以上、同じとは言えないのだと発する本書の主役の小学6年生の姿には圧倒されますが、その重みを確かめるため、雛を孵し、病気になった鶏を自分の手で絞める長男を筆頭に、父、母、弟、妹たちが動物の命、自分達も出産を経て生を受けたこと、母親として子を育てるということ、生き物を食べて生きること、稼いで生活を成り立たせていくことに、ニワトリを通して向き合っていきます。
世には「多く子どもが命と向き合う物語」があり、賛否両論が巻き起こりますが、私は本書が人の命、動物の命に向き合う率直さ、頭でっかちではない感受性の美しさにとても感動しました。
本書や繁延さんの他のエッセイを読んで以降、鶏肉を調理する際、それがどこかで生きてきて、誰かが屠ったものであることをより意識するようになりました。
それで何かが変わるわけではないけれど、何も思わない自分より、思う自分でありたいと感じています。
政府は、令和5年に「アニマルウェルフェアに関する飼養管理指針」を定め、さまざまの家畜のストレスを低減し、食品の質の向上も目指しています。
価格が高くても飼養方法にこだわる消費者はまだ少ないと思いますが、平飼い卵を選ぶなど、品質の観点から家畜の飼養方法に目を向ける方も増えてきていると感じます。
命を食すことが、アニマルウェルフェアへの配慮や、「いただきます」という言葉だけで倫理的に万事解決するわけではなく、生きて食べていく以上、自分が何を食べることが、自分にとって、そして社会にとってより良いことなのかという問いは続いていくと思っています。
食は、個人の嗜好の自由であると同時に、何を選ぶのかという思考の自由の源でもあります。
誰しもが家畜を飼ったり、狩猟をすることができるわけではありませんが、思春期を迎えた子どもたちとともに本書をきっかけに命の話をしたり、このレシピを通じて一人前の家族の一員になるきっかけを得たりしていただければ、幸いです。
1977年生まれ。神奈川県川崎市出身。大手法律事務所で弁護士として企業買収、企業法務に従事後、証券会社での勤務で地方創生、海外投資、ベンチャー投資等に深く関与。その後、2014年から2022年まで農林中央金庫に在籍し、食産業及び農業に関する投資、国内外企業買収、各種リサーチや支援業務に携わる。
自他ともに認める食オタクであり、法務知識のみならず農林水産部門に関する知見を用いて、ベンチャー企業含む事業者や生産者の各種相談対応、新規事業創出支援、資金調達や事業承継支援を行う傍ら、料理で人を繋ぐことで課題解決への貢献を目指している。